今回の突撃先はっ!
戸塚区でこまちカフェを運営し、子育てをメインキーワードに活動を行っている特定非営利活動法人こまちぷらすさんに突撃してきました。インタビューに答えてくれたのは、代表の森祐美子さんです。
我々りそーるとつかと同じ戸塚をフィールドに活躍する先輩NPOということもあって、NPOってどんな人がどんなきっかけでやっているかから聞いてみました。
特定非営利活動法人こまちぷらすは
(1)まちづくりの推進を図る活動(2)男女共同参画社会の形成の促進を図る活動(3)子どもの健全育成を図る活動(4)情報化社会の発展を図る活動(5)職業能力の開発又は雇用機会の拡充を支援する活動を目的として活動しているNPO法人なんです。
我々「りそーるとつか」がNPO法人を立ち上げる時には、既に戸塚で活躍しているNPO法人がある。その名は「こまちぷらす」だ。と話題に登ったのを強烈に覚えています。
今回、こまちぷらすに突撃するにあたり。代表の森さんの想いや哲学にも触れられたら良いなーと期待して行ってきました。
まずは、代表の森祐美子さんのお話しを聞いたまとめから。
やりたい事が見つからなかった若いころ
戸塚で生まれてしばらくは戸塚で育った幼少時代、親御さんの仕事の都合で海外を転々とする。そんな中でなんとなく「故郷」への憧れを抱きながら高校時代を迎える。高校に入り藤沢で兄弟暮らしをしその後ようやく戸塚に戻って暮らし始めた。戸塚で生まれたけど戸塚で育っていない、色々な国や土地で生活して来たけどどこへ行っても「私の街」ではなく「私は外様」というアウトサイダー感。ますます「故郷」への憧れが増えて行った。
大学に入っても周囲は研究テーマが決まっている中、自分自身が何をやりたいのかが見つからない。幼いころからやっていたピアノだけが私とずっと繋がっている線。音楽と言うキーワードで文化政策ゼミに入ったところ「アート」や「まちづくり」というキーワードに出会う。当時の国内の景気は低迷しており国全体に重たい空気が漂っていた。ある時、国内に過疎地域なのに稼働率が100%の音楽ホールがあることを知り衝撃が走った。景気が悪いのも影響して地方では公共施設を運営する財源を確保できず、美術館や音楽ホールなど文化施設から廃止していくそんな時代に過疎地域なのに稼働率が100%の音楽ホールがあるなんて行ってみたい。そのホールは新潟県の旧小出町(現在の魚沼市)にあった。
興味を持って行った街で出会った居心地
まずは現地に行ってみることを計画し、街に入ってコンビニで食事でもしようと向かったところコンビニなど見当たらない。どうしても食事がしたくて1軒の赤提灯(居酒屋)に入ると「おー、お姉さん!どっから来たんだ?」等と既に店内にいた地元のお客さんに温かく迎え入れられ、美味しい食事、美味しいお酒、楽しい雰囲気。初めて来たお店だったことを忘れるくらいの充実感。その瞬間「私がずっと探していた何かがここにある気がする、私が求めていた温かさ、居心地の良さ」この日から小出町のファンになってしまった森さんは毎月のように小出町に通うようになった。学生の森さんが街を気に入って通っている事を聞いた地元のお医者さんの家を宿泊場所として提供してもらい小出町を知る活動を続ける。いつしか森さんは小出町の魅力を多くの人に知ってもらいたいと考えるようになっていた。
渋谷から大型バス2台で若者50人を連れて小出町に行く企画をスタートさせた森さん、参加者はそれぞれが得意分野で小出町の中でイベントを行っていた。そのイベントのひとつに、1日限定の「カフェ」を開いたことがあった。このイベントを見た時にひとつの原石を見つけた。地域の人と他所から来た若者が年齢も性別も、住んでいる場所も環境も違う人たちがなんの隔たりも無く楽しそうに過ごしている、楽しそうに遊んでいる。「カフェのちからってスゴイっ!」
このころに「カフェ」という言葉が森さんのキーワードになっていく。
ここに来なければ気付けなかったこと
その後、大学在学中に新潟県小出郷地域の中期計画策定委員になり、県の職員、商店街、地域のキーマン、コンサルタントなどそうそうたる面々が集まった委員会に参加してみて初めて県や地域の財政難という金銭的事情を目の当たりにする。委員会に参加しながら「まちづくりや地域づくりは全てを税金で賄う時代ではなくなってきている。行政に任せておけば良い時代でもなくなってきている」という思いを抱く、同時に、これは過疎地域だから起きているのではなく、過疎地域だから横浜や戸塚よりも早く起こっているだけで他に地域も他人事ではいられない気がしたという。市民や地域の事業主などの現時点ではまちづくりのプレイヤーになっていない人がプレイヤーになって行く時代がこれからやって来ると考えたという。
稼働率が100%の音楽ホールがきっかけで小出町に惚れ込んでしまった森さんは、ある時国内の公共文化施設の評価をし続けている一般企業の存在を知る。それもここ数年の調査研究ではなく10年近く研究している。その企業とはトヨタ自動車だった。森さんが大きく衝撃を受けたポイントが2つ、音楽や芸術には無縁に想えた自動車業界がやっているという事と別財団を作りそこが研究を行っているのではなく、トヨタ自動車本体が行っているという事。
小出町に惚れてしまった時のようにトヨタ自動車にも興味が湧いてきた森さんは、トヨタのCSR部門に入りたい。企業としてまちづくりにどのように関わっていけるのか、私のやってきたようなことを企業の一員として経験してみたいと思うようになっていた。
トヨタ自動車への入社が決まり、配属が決まる前に先輩と話す機会がありそこで入社前に考えていたことを話すと先輩から「もしも、森さんのやりたい事を実現させたいのなら、現場が会社としてCSR活動を行えるように0.1円でも利益を出すためにどれだけ大変な思いをしているのかを知っておいた方が良い」と教えられた。先輩からの助言も考慮し、当時は伸び盛りの市場でもあった中国の部署に空席があり、中国への配属を希望する。そこから企業としてCSR活動を行う上での重要な要素、会社としての最前線の現場の大変さを目の当たりにする。
「子育てで孤立しない社会」に繋がった自らの体験
結婚して出産した森さん。
今まで小出町やトヨタ自動車等、色々な経験と実績がある自分自身のはずが、サラリーマン時代は、ほぼ戸塚には眠るためだけに帰って来ていたため地域にはくだらない話をしたり、話を聞いてもらったりと言った知り合いが居ないことに気付いた。知り合いも居ない森さんが当時子育てや家事の合間に時間を費やしたのがインターネットサーフィン。しかしネットではやはり満足できる森さんではなく、「この子と暮らすこの街で地域デビューをしたい」という想いが。インターネットで「戸塚 ボランティア」「戸塚 友達」「戸塚 〇〇」など様々な検索を試みるも、森さんが参加できるような答えが検索結果では見つからなかった。ある時戸塚で開催される童謡を歌うイベントに参加してみたが、子育て世代が参加していないことで参加は1度だけになった。
この時森さんは、「インターネットって明確に欲しい情報がわかっていないと役に立たない」と思った。
育児書では「子供は0歳の時から、早寝早起きの習慣を付けるべきです」と言われているのに、子供は寝ない。今から考えれば思うようにいくわけないのですが、子どもの泣き声をずーっと朝から聞きながら日中誰とも話すことなくおむつと家事と寝かしつけと授乳とという繰り返しのなかで、明日も明後日も来月もこの生活が続いていくのかと頭の中で考えていたその時、ふとした瞬間に自分の子供を投げ飛ばしてしまいそうになったという。この時森さんは世の中にある虐待とかって他人事だと思っていたけど私自身がやろうとしちゃってる。幸いそのときに関わった子育て支援拠点の立ち上げというひょんなきっかけから、負のスパイラルからは抜け出せましたがこんなストレスや精神状態はたくさんの地域の子育てしている人たちの中にも居るんじゃないか。「私は運良く自分で気づけたけど、子どもたちの世代には同じ思いをさせたくない!」
これがNPO設立の大きなきっかけであり、今でも常に原点になっている。
子供は1人で育てるんじゃない、地域で社会で育てるんだ。子育てしている人が周りに話せる時間や機会が必要だ。ここから始まったのが「おしゃべり会」で開催して参加者の様子を見てみると、子育て中に負のスパイラルに入ってくると人は「私はこう思う」とか「私は何がやりたい」という言葉が出てこなくなる。だけど何度か「おしゃべり会」に参加していくうちに、気が合う人が見つかって思ってることが言えるようになってくる。おしゃべりすることで楽しくなってきて心の余白というかゆとりができてきて、色々な事が好循環になってくる。参加している誰かが困っていると手を差し伸べられるようになる、これがボランティア活動や積極性にも繋がって来ることがわかってきた。
後篇では、取材に伺った塩野入理事や北原が個人的に気になった部分を掘り下げちゃいます。後篇へ続く。